2016年2月2日火曜日

ポートランドの街づくりノウハウを輸出する、PDC山崎さんにお話を伺いました

オールドタウンにある歴史的建造物(1908年) に入る
ポートランド市開発局(PDC)

ポートランドといえば、「全米で最も住みたい都市」だと評価される街づくりが有名です。
日本からも、ポートランドの街を体験したい、学びたい、という人々が多く視察に訪れています。そんな視察団が、まずお話を聞きたい!と思うのが、ポートランド 市開発局(PDC - Portland Development Commission)の国際事業開発オフィサー、山崎満広さん。


先日、「環境未来都市構想推進国際フォーラム in ポートランド」のご準備でお忙しい中、某取材に同行してお話を聴く機会がありましたので、こちらに共有いたします。

PDCの山崎さん。100年以上前に作られたレンガの前で。

山崎さんは、茨城県の工業高校を卒業。日立製作所の工場ラインで仕事に就くも、冴えない中年リーダーに将来の自分の姿を見たようで、「俺はこのままここで埋もれてはいけない」と一念発起。夢の国連職員に近づこうと、留学を目指し、お金を貯めます。そして、「ESLプログラムの学費が一番安かった」という理由で選んだミシシッピ州の大学に留学し、必死に勉強。メキシコでスペイン語やマヤ文明まで学び、3年半で学部を卒業しました。

その後、懇意にしていた教授に、経済開発専攻の大学院を勧められると、「夢だった国連と同様の仕事を、国内を舞台にできるかもしれない」と進学を決意。卒業後は、大手ゼネコンや財団に就職し、主に日本企業の誘致を担当。国内外を飛び回っての営業で、大きなお金を動かし、キーパーソンとの交渉や、土地開発、街づくりの経験を積んでいきます。

ところが、3年半ほど経つと、腎臓肝臓を酷使し続けるのはいかがなものか?サボテンまで枯らしてしまうほど家を空けるのは、ヤバイだろう・・・との思いも胸を過ぎり始めます。

毎日家にいるのに枯らしちゃうこともありますけど・・・
この子は今年購入した二代目。

そんな矢先、リーマンショックが起き、アメリカでは新しい方向性として、再生可能エネルギー技術に脚光が集まりました。日本で工業高校を卒業していた山崎さんは、再生可能エネルギーの知識があったため、多くのプロジェクトでひっぱりだこ。その時、ポートランドにも足を運んだそうです。

2008年頃のアメリカでは、再生可能エネルギーを取り入れて街づくりしている都市としてニューヨーク、ボストン、シアトル、オースティン、ポートランドが挙がり、山崎さんも各都市に足を運びました。特に規模が小さいのにいつも名前の挙がるポートランドには、興味を持っていたそうです。そして、実際に訪れて話を聞くと、他の都市との考え方の違いに驚きました。

通常、街づくりは、産業誘致や経済開発を念頭に、再生可能エネルギー技術を用いたりするらしいのですが、ポートランドでは、「産業誘致なんて古い!80年代にやったわよ。経済は後から付いてくるものよ。一番大切なのは、人の力。まず考えるべきことは、住人の幸せ!」だと。

PDCにあるポートランドの経済開発の図

南部のゼネコン、政府系経済開発機構、コンサル事務所を経験してきた山崎さんは、こんな産業誘致否定+ラブ&ピースな話を聞かされ、相当ショックを受けたと思われます。そして、ここがスゴイなぁ、と思うのですが、ポートランドの街づくりについて勉強したそうです。
で、これからはポートランドの街づくりかも・・・と思い、その頃、努力の末に獲得したばかりのすげえでかい額のプロジェクトを蹴って、給料も大したことない(ご本人談)ポートランド 市開発局へと転職したそうです。今でこそ、世界の価値観もポートランドと合致し、大注目となっていますが・・・。

さて、テキサスといえば自動車ですが、ポートランドは、公共交通機関や自転車の街。PDCに就職した頃の自己紹介中、上司に「ごめんなさい、私は車通勤なの」と謝られ、ポートランド住民の意識にショックを受けたそうです。
面白いと思ったのは、このポートランド住民の意識が、街づくりの成功に寄与しているというお話です。山崎さん曰く、自然が好きで、サステナブルな生活を重んじる住民が多いからこそ、環境先進都市になる舵きりができたと。

わたくし、ポートランドは60年代以降、いつまで経ってもヒッピーが去らない街だと思っていましたが、

ポートランドのサタデーマーケットブース

山崎さんによると、ポートランド住民の気質ができたのは、街の誕生当初まで遡るそうです。
というのも、ポートランドを作ったのは、東海岸の街での窮屈な生活に見切りをつけ、半年かけて西海岸を目指し、カリフォルニアのゴールドラッシュの誘惑にのらずに、オレゴンで林業、漁業、農業などに精を出した、野心と独立心がありながらも、やんちゃなだけではなく、真面目な人々というわけです。あと、東海岸より200年ほど後にできた新しい街だからこそ、古いものを重んじる傾向があるんだとか。なるほど。

オレゴントレイルの最終地点だと言われるウィラメット・フォールズ

で、70年代、造船や鉄道の産業が発展し、米国最悪の空気と水質にまで至ってしまった際にも、住民全体で自然と共存する道を選べたんだというわけです。
もちろん今も、そんなポートランドの考え方に共感する人が、移り住んで来たりしているのですが、そうじゃない人々も、ポートランドの街に住むことで、自転車通勤アリだな、とか、リサイクルしないとヤバイな、とか、地産地消サイコー、とかいうふうに、意識が変わっていくんだそうです。
また、だからこそ、LEED認証基準の建物を建てることがマストだったり、都市開発境界線を守る、といったことが大事だったりするわけです。

LEEDプラチナ認証のZGF建築事務所の入るビル

山崎さんは、現在、"We Build Green Cities"と題して、ポートランドの街づくりソリューションの輸出を行っています。それは、次世代につながる街づくりのコンセプトや方向づけのノウハウだったり、実際に街を運営していくための手法だったりします。
街の賑わいや楽しみ、人との繋がりといったソフト面を、道路や建物、公園といったハードに変換できる仕組みや、ソフトから考えた街の姿を描ける人材は、ポートランドが培ってきた資産なのです。

日本の街づくりは、官が道を引いて、デベロッパーが道沿いに箱を立てて・・・と通常プロセスと共に担当者が変わっていくものらしいですが、ポートランド流は、市民、デベロッパー(民官企業)、行政、公共機関(病院や学校、財団など)などが、最初から一緒になって街づくりをしていきます。空き地があれば、どのように道を通せばよいか、建物はどんな形がいいか、など、多くの人々の意見を取り入れながら、ベストな形を探ります。もちろん、さまざまな立場にある関係者の利害関係を調整したり、資金を調達したりと広い視野をもってまとめあげるのは相当大変そうですが、そこを担ってきたのがPDCというわけです。

街づくりを考える際に理解するべきだという
変化の速さを記した図

日本では、千葉県の柏の葉や、和歌山県の有田川町でポートランド流の街づくりプロジェクトが始まっています。
お忙しい山崎さんですが、1年ごとに予算が・・・人事異動が・・・というのではなく、誰もが暮らしやすい街ができるまでやめない!と肚を括ったプロジェクトチームの依頼は、大歓迎!だそうですよ。

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